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開業・独立 シリーズ:セラピスト開業の教科書 #27

施術事故への備え——保険・SOAP記録・そして「施術しない」という技術

2026/8/8

施術事故への備え——保険・SOAP記録・そして「施術しない」という技術

この記事で分かること

読了時間:約 6 分

  • 賠償責任保険は、いまは資格の有無を問わず施術者向けの協会団体保険で入れる(最高1億円補償の型)。事故の後の話ではなく、開業手続きの一部として最初に入る
  • 記録は病院で使っていたSOAP形式をサロンでもそのまま使っている。施術前の状態が記録にあることが、「施術で悪化した」という主張と事実を切り分ける唯一の手段になる
  • 5年間で一度だけあった「事故になり得た日」——急に歩けなくなって来店されたお客様に、施術をせず受診を勧めた。診断は低カリウム血症。最大の事故対策は手技の上手さではなく「やらない判断」だった
  • それでも起きたときの初動は、謝罪の言葉より先に体調と受診。因果を軽々に認めず、自己判断で示談せず、保険会社に早く連絡する

前回の記事で、整体にルールを作るなら、という6か条を書きました。そのうち保険と記録と受診勧奨は、制度を待たずに今日から自分に課せる——そう書いた以上、自分の店の実物を公開する責任があると思います。

先に正直な前提を書いておきます。開業から5年、私の店で施術事故は起きていません。ただしこの記事は「5年無事故の秘訣」のような話ではありません。ゼロには運の成分がありますし、一人でやっている小さな店の5年間は、統計としては小さすぎる母数です。

書きたいのは、備えの実物と、一度だけあった「事故になり得た日」の話です。

備え① 賠償責任保険——開業手続きの一部として入る

まず保険です。開業手続きの記事で「賠償責任保険に加入した」と一行だけ書きましたが、その中身です。

私が入っているのは、施術者向けの協会の会員になると付帯する型の団体保険です(私の場合は国際コメディカル協会のもの)。施術中の事故やお客様の持ち物の破損などを対象に、最高1億円の補償が付きます。特筆すべきは加入条件で、国家資格者に限らず、民間資格の施術者まで幅広く入れます。

つまり、いまの日本では「保険に入れない施術者」はほぼ存在しません。年会費数万円の世界です。1回の施術料の数回分で、事業を破綻させかねないリスクの上限が固定される——事業の設計として、入らない理由を探すほうが難しい。

大事なのは順番です。保険は事故が起きてから考えるものではなく、開業届と同じ棚にある手続きです。私は開業時に入りました。もしいまこの記事を読んでいるあなたが開業済みで未加入なら、今日調べてください。この記事を読み終わるより、資料請求のほうが先でいい。

備え② 記録——病院から持ってきたSOAP

次に記録です。私は病院で15年書いてきたSOAP形式を、サロンでもそのまま使っています。

  • S(Subjective)——お客様の言葉。「今日は右の腰が朝から重い」をそのまま書く
  • O(Objective)——自分が確認したこと。動きの検査、観察した事実
  • A(Assessment)——評価。今日の状態をどう捉えたか
  • P(Plan)——今日やったことと、次回に向けての計画

初回はこれに加えて、Googleフォームの事前カウンセリングで通院状況と服薬を確認し、5つの説明——医療ではないこと、状態によっては施術せず受診をお勧めすることを含む——への同意をいただいてから施術に入ります。フォームの回答と初回の説明内容は、そのまま記録として残ります。

なぜ記録が事故への備えになるのか。理由は単純で、施術前の状態が書いてあるのは、世界でその記録だけだからです。

「施術の後から痛くなった」という訴えがあったとき、争点は必ず「施術の前はどうだったか」になります。施術前のS——お客様自身の言葉——が毎回残っていれば、事実の切り分けができます。なければ、どちらの記憶が正しいかという不毛な争いになる。記録は自分を守る盾であると同時に、お客様にとっても「事実に基づいて対応してもらえる」という保護です。守る相手が同じ行為の中にいる、珍しい備えです。

備え③ 「施術しない」という技術——事故になり得た日の話

そして、これが本題です。5年間で一度だけ、「今日、判断を間違えたら事故になる」とはっきり感じた日がありました。

ある日、「昨日から急に歩けなくなった」というお客様が来店されました。歩くには付き添いの支えが必要な状態です。体温や血圧などに大きな異常はありませんでしたが、一晩での急激な筋力低下——これは、私の店で扱ってよい状態ではないと判断しました。腰や筋肉の凝りの話ではなく、体の中で何かが起きているサインです。

施術はしませんでした。そのまま、かかりつけの医療機関の受診をお勧めして帰っていただきました。

数日後、付き添いの方から連絡をいただきました。診断は低カリウム血症。血液中のカリウムが不足して筋力が落ちる状態で、数日間の入院を経て、無事に回復されたそうです。

もしあの日、「せっかく来てくださったから」と揉んでいたら、どうなっていたか。低カリウム血症は施術で悪化する病気ではないかもしれません。でも、入院が必要な状態の方を1時間ベッドに寝かせて、医療への到着を遅らせていた。回復が遅れていたら、「整体に行ったのに」という話に必ずなります。そして何より、体の中で起きていることに気づく機会を、私が塞いでいたことになる。

最大の事故対策は、手技の上手さではなく、
「今日は施術をしない」と言える判断。

見逃してはいけないサインの見分け方は別の記事に書きましたが、実務として大事なのは、迷ったら施術しないという原則を、初回の同意の段階でお客様と共有しておくことです。私は最初に「状態によっては施術せず、受診をお勧めすることがあります」と説明しています。だからあの日も、施術を断ることが裏切りにならず、「ちゃんと見てくれた」になりました。

売上の話を正直にすると、あの日の売上はゼロです。でもあの方は回復後も通ってくださり、この店は「危ないときは止めてくれる店」になりました。施術しなかった1時間は、5年間でいちばん割のいい投資だったかもしれません。

それでも起きたら——初動の型

備えても、起きるときは起きます。連絡が来たときの初動を、順番で整理しておきます。

  1. 体調の確認が最優先。症状が強い・広がる・しびれや脱力があるなら、まず受診を勧める。対応の巧拙より、相手の体が先
  2. 記録する。いつ、誰から、どんな内容の連絡があったか。その日のうちに
  3. 保険会社に早めに連絡する。「大ごとにしたくないから」と自己判断で見舞金や返金で収めようとしない。それは保険の適用を自分で壊す行為でもある
  4. 誠実に対応する。ただし、因果関係をその場で認めない。「私の施術のせいです」とその場の空気で言わない。原因がどこにあるかは、記録と事実が示すもの。誠実さと安請け合いは別物

ここまで書いて分かるとおり、初動の質は、実は初動では決まりません。保険に入っていたか、記録があったか、同意の説明をしていたか——事故対応の実力は、事故の前に全部決まっています

5年ゼロの、正直な意味

最後に、冒頭の「5年間事故ゼロ」に戻ります。

これを実力と言い切るつもりはありません。母数は小さく、運の成分もある。ただ、構造として言えることはあります。禁忌に触れる状態の方には施術しない。首への急激な操作のような、国が30年以上前から危険と名指ししている手技はやらない。毎回SOAPで施術前の状態を見る。そして迷った日は、やらない。

事故ゼロの一番の要因は、たぶん「施術をしなかった日」がつくっています。

これで守りの三部作はおしまいです。広告の守り業界のルール、そして今回の店の守り。3本を通して言いたかったことは一つで、守りは攻めの反対語ではありません。この仕事の商品は突き詰めれば信頼で、保険も記録も施術しない判断も、全部その製造工程です。

正直な注記

私は法律や保険の専門家ではありません。この記事の保険の記述は私が加入している団体保険の一例で、補償内容・条件は団体や商品によって異なります。加入の際は必ず約款をご自身で確認してください。「初動の型」は一開業者の考え方の整理であって法的助言ではなく、実際のトラブルの場面では保険会社・弁護士等の専門家に相談してください。低カリウム血症の事例は、ご本人を特定できない形で、経過の要点のみ記載しています。

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よくある質問

Q. 民間資格しか持っていなくても、賠償責任保険に入れますか?

A. 入れます。施術者向けの協会が提供する団体保険には、国家資格者に限らず民間資格者や資格のない施術者まで幅広く加入できるものがあります。年会費に補償が付帯する型が多く、施術中の事故やお客様の持ち物の破損などが対象です。「保険に入れるか」はもはや参入障壁ではありません。だからこそ、入っていないことの言い訳も立たない時代です。

Q. SOAPを知らないのですが、記録は何から始めればいいですか?

A. 形式の名前は重要ではありません。最低限、①施術前にお客様が何と言っていたか(言葉のまま)②施術前の状態として自分が確認したこと③何をしたか④施術後の反応、の4つを毎回書けば、実質的にSOAPと同じ機能を果たします。特に①と②が重要です。施術前の状態の記録がなければ、後から「施術のせいで悪くなった」と言われたとき、事実がどうであっても示せるものがありません。

Q. もしお客様から「施術の後から痛くなった」と連絡が来たら、まず謝るべきですか?

A. 最初にすべきは謝罪の言葉選びではなく、体調の確認です。症状が強い・広がっている・しびれや脱力を伴うなら、まず医療機関の受診を勧めてください。健康が最優先です。その上で、連絡の日時と内容を記録し、加入している保険会社に早めに連絡します。誠実に対応することと、因果関係を自分の判断で認めることは別です。原因がどこにあるかは記録と事実が示すもので、その場の会話で決めるものではありません。なお、これは一般的な考え方の整理であって法的助言ではありません。実際の場面では保険会社と専門家に相談してください。