開業権は、いつ協会の目標から消えたのか──奈良会長の宿題と、そのあとの話
2026/8/7
この記事で分かること
読了時間:約 6 分
- ✓ 協会は最初から開業に反対だったのではない。奈良勲会長(1989〜2003)は法改正を「未完の課題」として、実現を信じたまま次代に託した
- ✓ 宿題は静かに消えた(2015年の急告・2018年「あり得ない」)。しかし2026年5月、3団体が法の抜本改正を国に要望——宿題は開業権を抜いた形で机に戻ってきた
- ✓ 協会が諦めたのは「医師の指示なしで公的保険を使う開業」。堂々と開業できる未来は権利としては来ない。信頼としてなら、積み上げられる
前回までの記事で、「理学療法士の自費開業は問題視されている」という言葉の出どころ——2015年の協会の急告——を一次資料でたどりました。
その調べものの途中で、もうひとつの問いが残りました。協会は、最初から開業に反対だったのだろうか。
調べてみると、逆でした。協会はかつて、開業を目指していたのです。この記事は、その夢がいつ、どうやって目標から消えたのかをたどる記録です。
奈良会長は、実現を信じたまま宿題を残した
日本理学療法士協会で1989年から2003年まで、14年間会長を務めたのが奈良勲氏です。退任の年に書かれた寄稿が、医学書院の週刊医学界新聞に残っています。マスタープランの7〜8割を実現したと総括したうえで、こう書かれています。
理学療法士法の見直し、理学療法士代表を国会議員として送り込むなどの課題はまだ実現していません。今後、本会が力をつけることで、これらの課題は実現できるものと思います
——奈良勲「PT協会長を14年間務めて」週刊医学界新聞(2003年8月4日)
法の見直し——医師の指示のもとに置かれた理学療法士の枠組みを変えること。その先に開業への道を見ていたことは、当時の文脈から読み取れます。大事なのは、この課題が「実現できるものと思います」という言葉とともに、次の世代へ託されていることです。諦めの言葉ではありません。宿題です。
宿題は、返却されないまま消えた
では、その宿題はいつ「不可能」に変わったのでしょうか。
探してみて分かったのは、目標が消えた瞬間を告げる文書は存在しない、ということです。目標は、削除されるのではなく、更新されないことで静かに消えていきます。協会の重点目標から法改正の文字が薄れていき、気づいた人だけが「そういえば」と思う。組織の夢は、そういう消え方をします。
公文書上の確定点は、2015年1月30日の急告です。
本会としましては、理学療法士の「開業権」及び「開業」については、現行法上、全く認められるものではないとの見解に立っています。
——日本理学療法士協会「急告:保険適用外の理学療法士活動に関する本会の見解」(2015年1月30日)
そして2018年、当時の半田一登会長は講演で、開業権の獲得は時代に逆行した話でしかなく、あり得ない、と語ったことが聴講した理学療法士の記録に残っています。理由は、社会保障費の逼迫でした。
奈良会長の「実現できるものと思います」(2003年)から、「あり得ない」(2018年)まで、15年。宿題は返却されないまま、いつの間にか机から消えていました。
発見:諦められたのは「保険の中の開業」だった
ここで、言葉の定義をよく見る必要があります。半田会長の言う開業権とは、医師の指示なしで、公的保険を使って理学療法を提供する権利のことです。
この定義なら、「あり得ない」は合理的な判断だと私も思います。医療費を抑えたい国に向かって、保険を使える職種を増やしてほしいと求める——通る見込みのない交渉です。協会が諦めたことを、私は責める気になれません。
ただし、気づいてほしいのはここです。
協会が諦めたのは、
保険の中の開業です。
保険の外——自費で、理学療法ではないサービスを提供する開業は、最初からこの話の外側にあります。1960年の最高裁判決を土台に、整体やコンディショニングの世界として、現行法のもとで今も開いている道です。どこに線を引けば法に触れないかは、前々回の記事で一次資料ごと整理しました。
つまり、こういうことです。協会が目指して届かなかった夢と、いま自費で開業する私たちの道は、同じ「開業」という言葉で呼ばれているだけの、別の道です。前者は制度への交渉で、後者は目の前のお客様との信頼で作られます。
宿題は、形を変えて机に戻ってきた
ただ、この物語には続きがあります。
ひとつは、悲しい報せです。奈良勲氏は、2025年11月8日に亡くなられました。協会の追悼文は、氏の使命を「理学療法を科学にする」ことだったと伝えています。宿題を残した人は、その返却を見ないまま逝かれました。
もうひとつは、その半年後の動きです。2026年5月、日本理学療法士協会・日本作業療法士協会・日本言語聴覚士協会の3団体が、自民党のリハビリテーション小委員会で、1965年の施行から一度も改正されていないこの法律の抜本的な見直しを要望しました。福祉新聞の報道(2026年5月21日)によれば、求めたのは、法の目的に予防や健康増進への寄与を明記すること。対象を「障害のある者」と定める規定を見直すこと。紛らわしい名称への厳罰化。養成課程の4年制化。そして、次期通常国会への改正法案の提出です。
つまり、奈良会長の宿題——理学療法士法の見直し——は、開業権を抜いた形で、いま机に戻ってきています。予防のために「障害のある者」という枠そのものを見直す。それはこの記事群でずっと書いてきた「対象・目的・手段」の線引きの、法律の側からの再設計です。そして「紛らわしい名称の厳罰化」が要望に並んでいることは、名乗り方の整理で書いた「資格を出すなら、枠も出す」が、個人の処世術ではなく業界全体の課題であることの証明でもあります。
この改正がどこまで進むかは、まだ誰にも分かりません。ただ、60年動かなかった法律が動こうとしている時期に、開業する側の私たちが線の引き方を雑にしていい理由は、ひとつもありません。
権利としては来ない。信頼としてなら、積み上げられる
この歴史をたどって、私の考えはこう固まりました。
理学療法士が堂々と開業できる未来は、権利として上から降ってくることは、当面ありません。協会の15年がそれを証明していますし、2026年に復活した法改正要望の項目にも、開業権は入っていません。
でも、信頼としてなら、下から積み上げられます。一人ひとりの理学療法士の臨床推論が確かで、線の引き方が誠実で、お客様が「あの人に見てもらってよかった」と言う——その積み重ねだけが、「理学療法士の開業」という言葉の世間での意味を変えていきます。逆もまた然りで、一人の事故は資格全体の信頼を削ります。私の失敗が「理学療法士の男が」と報じられるように。
だから、このサイトの結論はいつも同じところに戻ります。臨床推論力を上げること。線を自分の目的で引くこと。それは自分の店のためであると同時に、奈良会長が実現を信じた未来への、いちばん遠回りで、いちばん確実な道だと思っています。
私が学んだすべてをこのサイトに置いていくのは、そのためです。
正直な注記
この記事の年表は、協会の公開文書と奈良氏本人の寄稿に基づいていますが、限界も書いておきます。奈良氏の寄稿に「開業権」という言葉そのものは登場しません(「理学療法士法の見直し」の中身としての私の読みです)。また、2018年の半田会長の発言は講演の聴講記録に基づくもので、協会の公式文書ではありません。協会の正式な歴史は50年史などの記念誌が正本です。ここまで書いた流れと違う一次資料をお持ちの方がいたら、ぜひ教えてください。記事を直します。
これから開業を考えるあなたへ
保険の外の道を歩くと決めたなら、最初に読んでほしい記事と、相談できる場所を用意しています。
よくある質問
Q. 開業権は、もう絶対に実現しないのでしょうか?
A. 「医師の指示なしで公的保険を使って理学療法を提供する」という意味での開業権は、社会保障費が逼迫し続ける以上、当面は現実的でないと私も思います。ただしそれは保険の中の話です。保険の外で開業すること自体は現行法でも可能で、実際に私はその形で5年営業しています。線の引き方は別の記事に詳しく書きました。
Q. 協会は自費開業を禁止しているのですか?
A. 禁止する権限は協会にはありませんし、2015年の急告をよく読むと、問題にされているのは開業そのものではなく「理学療法を実施する行為を宣伝すること」です。急告自身が「身体に障害のない方々への予防目的の運動指導は抵触しない」と線を引いています。詳しくは「なぜ問題視されるのか」の記事で一次資料ごと解説しています。
Q. なぜ協会は方針を変えたのですか?
A. 半田会長が2018年の講演で挙げた理由は、社会保障費の逼迫です。医療費を抑えたい国に対して「医師の指示なしで保険を使える職種を増やしてほしい」と求めるのは、たしかに時代の流れに逆行します。方針転換そのものは、合理的な判断だったと私は受け止めています。